HP「塀の中の懲りない面々」に連載中
MISSION1 最初の指令
突然の指令であった。今回の任務は,とある人物を都内某所に無事送り届けること。それもできるだけ目立たず,迅速にだ。詳しい内容はこの場では伏せておく。国家機密だからである。とにかく俺は思いがけずに早く,再び東京を訪れることとなった。
今回の目的地八王子は,俺が二年間生活した思い出の地である。だが,今回のような重要な任務を与えられた状態で,感傷に浸る暇はないだろう。少なくとも,その人物を無事送り届けるまでは。
新幹線で東京へ向かい,東京から中央線で八王子へ向かう。単純に考えれば新横浜から八王子に向かう方が早そうだが,新横浜から電車に乗ることは人目につきやすく危険を伴う。東京駅なら始発であるため座席に座りやすく,人目につきにくいのだ。
こうして俺達は無事に東京駅にたどり着き,中央特快高尾行きに乗り込んだ。よかった。中央線なら八王子まで電車で一本だ。俺は長時間張り巡らしていた緊張の糸を少し弛め,窓の外を眺めた。東京医科歯科大の建物が見える。俺達が解剖実習を受けた場所だ。あの時はしばらく鶏肉が食べられなくなったっけ。Y田さんが黒ずんだ臓器を恐る恐る持ち上げていた姿を思い出した。Y田さん…!一抹の不安が頭をよぎった。Y田さん,中央線,置き石…。いくつかのキーワードが俺の心の中に暗雲を立ち込めさせる。この列車は無事八王子に着くのか?
列車は新宿を通り過ぎた。窓から立ち並ぶ雑居ビルを眺めながら,俺は心の中で祈った。新宿王Y大よ。この列車を守ってくれ…。俺の心配をよそに,列車は無事に三鷹,国分寺,立川を通り過ぎ,無事八王子に到着した。俺の取り越し苦労だったか。ほっと胸を撫で下ろした。
列車から降り,改札に向かう途中アナウンスが聞こえた。「横浜線をご利用のお客様。大変ご迷惑をおかけしております。現在,11時40分発の普通列車東神奈川行きは大幅に到着が遅れております。横浜線をご利用の…。」どうやら置き石があったらしい。俺の背中を冷たい汗が伝った。中央線を使って本当に良かった。俺の選択は正しかったのだ。悔しがるあの人の姿が目に浮かんだ。
八王子駅では既に専用車を路駐した某施設職員が待っていた。某施設…。俺達が二年間,地獄のような特殊訓練を積んだ場所…。そこに俺は帰ってきたのだ。一般人には決して開かれることのない重い鉄扉が開かれた。某施設内は全く変わった様子はない。C葉さんが土足で乗って,用度課職員に怒られた体重計もそのままだ。某人物の引き渡しも無事に終了し,俺は最初の任務を無事に終えることができた。
MISSION2 一富士の定食は健在か?
多国籍レストラン一富士。この施設内唯一の飲食店であり,ここで働く職員,また訓練中の研修生達の唯一のオアシスといえる場所である。株式会社一富士がプロデュースするこのレストランは,毎月赤字になりながらも文句も言わず人々に安らぎを提供している。再びここで食事をすることになるとは…。俺は感激で胸が一杯になった。
一富士は全く変わっていなかった。今の一富士にないものは,八王子の節電に協力しながらも,諸事情で府中へ飛ばされたK尾部長がミニ丼定食を美味そうに頬張っている姿だけである。
俺達の実習担当であったC須和先生も丁度食事をしていた。現在は南病棟で働いているらしい。採血職人といわれたチッシーは,存分にその腕を振るっているのだろう。
今日の定食はカツ煮定食だ。味のほうはともかく,懐かしさに俺は目頭が熱くなった。変わらないぱっとしない味,薄いカツ,野菜が崩れた味噌汁…。やっぱり一富士は最高だ!この分だと,裏メニューのカレーうどんも健在なのだろう。
ああ,一富士よ。いつまでも職員のオアシスでありつづけてくれ。俺は目を閉じ,合掌した。
MISSION3 凶夢の現状を調査せよ
凶夢。そこは某施設内において最も特殊な機関である。そこは,他の課や部門から完全に独立し,一切の干渉を受けない。凶夢は凶夢主任を筆頭に,担任1,担任2,実習担当の三人の猛者(凶夢死天王),さらに使い走り一名の計五人により結成される。そのメンバーの選出は某施設上層部により極秘裏に決定されるのだ。凶夢最大の目的は,毎年全国から集めた22人の理由あり職員を,過酷な医務課勤務に耐えられるよう,また,あらゆる命令に服従するマシーンに育て上げることだ。そのためには,不適格者,脱落者は情け容赦なく切り捨てる。我々の代では,埼玉出身のあの人が赤点地獄の末に闇に葬られた。研修生にとってはまさに自分の生き死にを左右する地獄の使いである。今回のミッションは,権力争いの末に退職したU目野凶夢主任亡き後の凶夢の現状を調査することだ。
俺が事前に調べた情報によると,U目野の圧力により3階病棟に飛ばされていたA毛ミーナ,一年間外部で訓練を積んだK田岡先生の二人が教務に返り咲き,さらに「ためしてガッテン」で家庭の医学を学ぶU枝先生が主任に納まったという。さらに太った舎監兼使い走りのA北が凶夢をクビになり,N利田部長がそのポジションに納まっているという。果たしてその情報は正しいのか?
一年三ヶ月振りに訪れた凶夢は雰囲気ががらりと変わっていた。部屋中に羽毛が舞っている。U目野凶夢主任がいなくなり,皆が羽を伸ばしているからだろう。
棚ぼた式に主任に納まったU枝先生は三本線の入ったキャップを被っている。現場での適性がないことが幸いしたのだ。世の中,何が幸いするのかわからない。元担任のA毛ミーナは最近テニス雑誌に載ったことを自慢していた。雑誌のコピーをあちこちにばらまいているらしい。K田岡先生は相変わらず息切れをしている。A北に変わって使い走りの座に納まったN利田部長は,ますます頭のつやが増し,妙に馴れ馴れしく話しかけてくる。どうやらこのポジションは,完全に干された人間の指定席に決まったようだ。
音楽の時間らしく,教室の方からは新一年生の歌声が聴こえてくる。懐かしいメロディだ。癒し系でお馴染みのT蚊橋先生の姿も見ることができた。かなりの激痩せで,この一年で何があったか興味深いところだ。教務を追放されたA北の転落した姿は見ることはできなかったが,俺は満足していた。
MISSION4 南口の近代化を調査せよ
JR八王子駅周辺。駅と線路により南北に分けられることにより,その街並みは大きく変化する。北口は東急スクエアやマルイ等のビルが立ち並ぶ,ちょっとした都市である。八王子市民はわざわざ都心に行かなくとも,大抵の用事は北口で済ませることができるのだ。一方,南口はというと,完全な住宅街であり,見所は皆無である。駅を出たとたんに目に付く八百屋がその全てを物語っている。しかしながら二年間の養成所生活を南口で過ごした俺達にとって,一般人にとっては何の価値もないこの街にもたくさんの思い出があるのだ。
今回のミッションは,南口に訪れた近代化の波を調査することだ。第一の任務で,俺は既に南口の階段にもエスカレーターが設置されているのを目撃している。なるほど,高齢者の比率が高い南口には必要であろう。しかし,他に何か変化はあるだろうか?南口を愛する俺は,あまり大きな変化を望まないが。俺は調査を開始した。
まず俺は誠和寮を訪れた。第一,第二誠和寮共全く変わっていない。この分だと第一誠和寮の黄色い湯がでる天然温泉もそのままなのだろう。さて,気になるのはユキオハウスだ。現在,舎監は空席らしい。案の定,ユキオハウスには誰もおらず,自慢の愛車も,カーテン等も外されなくなっていた。まあ,いてもいなくても差し支えのない舎監であったが。
子安坂を下り,懐かしい街並みをぶらぶらと歩く。ファミリーマート子安店の店員は相変わらず愛想がない。不良店員長尾はさすがにいなかった。学校を卒業し,就職氷河期の中,今はキャバクラ等で働いているのだろう。
ところで,K尾部長が転勤したにもかかわらずファミマの前の自転車はきれいに整頓されていた。K尾部長の意志を継いで毎日整頓する人がいるのか,それとも本人が府中から整頓しに来ているのか。永遠の謎だ。
カレー屋ハラッパは予想通りつぶれていた。客の入りはともかくとして,けっこう美味な名店だっただけに残念だった。あの薄揚げカツカレーはもう味わえないのか。新しいかたちのラーメン専門店宮城や,とんかつの大国等どうでもいい店はしっかり残っているのに。これらの店は趣味でやっている店だから客の入りは関係ないのかもしれない。
俺はドルフィンやサンドラッグを横目に西へと足を進めた。スーパー丸正はなかなか盛況な様子である。俺達が,よく納豆や豆腐を特売で買った店である。あの頃は植物性のタンパク質ばかり摂っていたな。俺が野菜炒めを作っていて火災報知器を作動させた時の野菜も丸正で買ったものだ。
今度は南へと足を向ける。ボーリング場「ラウンドワン」は変わらず営業していた。Y大,S渡,U羅等,毎日十ゲーム以上利用していたボーリング部員達が行かなくなり,確実に売り上げが落ちた筈である。まだ無事だと知ったら彼らは喜ぶだろう。また隣接しているバーミヤンも営業していた。一時は火災となり炎上した店である。あの時は店の前で記念写真を撮ったっけ。懐かしさが胸にこみ上げてくる。
今日の宿泊はもちろんドルフィン,ではなくサンホテル八王子だ。あの頃の思い出が蘇り,眠れぬ夜となるだろう。
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